「神の答えは「教会」であった」
ワトト創立者 ゲアリ-スキナー 牧師 著
私達はとてつもない混乱の世界に生きている
社会の都市化と近代化は、現在の政治的、社会的、経済的、道徳的混乱を肥大させながら、地球全体に影響を及ぼしている政治的混乱
世界はコントロールができない多くの問題に直面しており、本当の解決がないかのように感じられます。
世俗的な現代社会の中で、私達は道徳的な悪影響を受け、結果的に抜け出すことのできない泥沼に入り窮地に追い込まれているのです。
豊かな時代であるにもかかわらず、貧困がこの地球を覆っています。
市民紛争・戦争は何百万人という人間を殺し、
本来ならばこの貧困に解決を与えてくれるであろう資源を無駄にしています。
それに対して政治家達は解決策を持っていない様に思えるのです。
経済的混乱
経済的混乱は国々の腐敗と、際限のない貪欲によって加速しています。国際的、また個人的な負債がますます増えコントロール不可能となりました。繁栄がもたらしたものは、私達のコントロールができなくなった怠惰や中毒の問題であり、人々は決して満足することはなく、いつも「もっと、もっと」と叫ぶようになりました。経済的なリーダーは人類が直面しているジレンマを解決する方法を知りません。
社会的混乱
偏見が横行しています。部族主義、人種差別、派閥争いが、紛争の最前線となっています。
- 家族は破壊され、父親たちは神から与えられた真実と誠実をもって、家族の長として家族をリードするという
責任を放棄しています。
- 若い父親たちは、彼らの身体的な楽しみを追求すること意外は、人生の目的を見いだす事ができず方向性や
目的も見いだすことができません。
医療的な混乱
私達はこれまでにない程、科学技術が進歩している時代に生きているにもかかわらず、未だに医療の混乱の中にいます。
人の命を奪う病気を治療する方法が見つからないまま、世界中に広がり続けています。
- ガン、心臓麻痺、マラリア、栄養失調などによって、何百万の人が命を落としています。
- これまでにない世界的な危機が訪れています。エイズは文字通り国々と世界大陸の安全を脅かし、
壊滅的な広がりをもって 社会の秩序を乱しています。
道徳的混乱
富と繁栄は人間のジレンマを解決してくれるものではありません。発展途上国と呼ばれる国々では「中毒」が蔓延している。
- 麻薬、アルコール、タバコ、ポルノ、風俗、娯楽、スポーツなどが、本当は神しか満たすことの出来ない
空虚な部分を満たそうとしています。
- 快楽主義が世界中に性的混乱をはびこらせ、社会の崩壊に拍車をかけています。
あなたは「悪いニュース」にうんざりしていませんか?
朝、ニュースキャスターが「おはようございます」と挨拶をして、それからこのような悪いニュースを皆さんに伝える…。
私達は何をすればいいのでしょうか?どうしたら、このような生命を脅かす問題を解決することができるのでしょうか?
しかしながら、この様な問題が私達にとって「最悪の問題」ではありません。なぜならこれらの問題は「絶好の機会」でもあるからです。
聖書には、こう書かれています。「罪の増し加わるところには恵みも増し加わるからです。」
ある人が言いました。「暗闇の深い夜ほど、明かりが明るく見える」どんなに大きな罪も神の驚くばかりの恵みには打ち勝つことはできないのです。
この恵みというのは神を信じる人々を通して現されます。神は「教会」を通して恵みを現すのです。
私達は暗闇を照らす光、物を腐らせてしまうのではなく、新鮮に保つための塩となるように神によって造られたからです。
混乱、死、病気、絶望がはびこるこの世の中で、神の答えはいつもキリストの教会の中に現されています。
教会の持つべき視点は、世界的で、国境を越え、障害を越え、直面している問題を二つの方法(個人として、キリストの体として)で解決する事です。
イエス・キリストは教会を通してでなければ、人々の人生に触れることはできないのです。
2000年前、イエス・キリストがどこにいっても、心や体の傷ついた人々に出会いました。
彼は手を伸ばし、その人に触れ、触れられた人は人生が永遠に変えられました。
イエス・キリストは私達(教会また個人)を通して、この傷ついた世界に触れようとしているのです。私達は傷ついた世の中に触れようと手を伸ばしているイエス・キリストの手のような存在です。教会は絶望的で誰にも助けられない人々に癒しを与え、イエスの愛で触れ、彼らの人生を永遠に変えるのです。
神の答えは教会です。
それは生き生きとしていて、力強く、情熱に溢れ、あらゆる問題に対して有効的で、地域社会に影響を与えるのです。
「全世界に出てゆき、福音(神からの良い知らせ)を全ての人に述べ伝えなさい。」と言われたのはイエス・キリストご自身です。
彼はまたこう言っています「出て行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
つまりこれは私達が「キリストの文化を世の中の文化の中に持って行きなさい」という意味です。
私達はいつでも、どこでも、どんな文化の中でも、どれだけお金がかかってもキリストのライフスタイルを生きなければならないということです。
これがイエス・キリストが今日「教会」と呼んでいるものの姿なのです!
私たちには道徳的、文化的改革が必要です。それはこの地球上の人々の態度を変えるための、私たちはその見本とならなければならいのです。将来の希望は教会にあります。世界中で教会に集う人々が、私たちのために命を投げ出した神の子羊の勝利の上に、心を合わせ、手をつなぎ、持ち物を出し合うのが教会の役目であり、私たちの任務です。
私たちが進む方向は国際的であり、現実的でなければなりません。
本当の必要に応え、滅びに向かっているこの世を、純粋な愛で包まなければなりません。
それは私たちの心を、律法で結びつけるのではなく、愛の関係で結びつけます。
愛は私たちの手の中、また心の中にあり、人々が切望しているものなのです。
ビリー・グラハムというキリスト教の伝道者は、イギリスのウィンストン・チャーチル元首相に会う機会がありました。
それはあの悲惨な第2次世界大戦の最中でした。チャーチル首相はこの偉大な伝道者に聞きました。
「グラハムさん、何が私たちの希望ですか?」
神の人ビリーは答えました。「チャーチル首相。イエス・キリストこそ私たちの希望です。」
私たちが直面する課題がますます増えています。唯一の解決方法はキリストが生きて働いている教会がキリストの熱心な愛によって、世の中の問題に対して現実的 に対応する事のみです。
キリストに従う人々が、外に出て行って社会の中で傷ついて腫れあがっている部分に癒しの油を塗らなければなりません。世の中は、その人々が受けている聖霊に よって洗礼を受ける必要があります。
私達はきれいな絨毯が敷かれた居心地のいい教会堂の中にいるわけにはいかないかもしれません。
神は私達に「出て行きなさい」と命令されました。だから私たちは出ていかなければならないのです。
世の中の問題や災いの解決方法は、金銭にあるのではなく、関係の中にあります。
私たちに必要なのは、イエス・キリストに従う人々、貧しい人、目的を見失った人、孤独な人に対して、喜んで自分を差し出す姿勢なのです。
それこそ、世の中が最も必要としている重要な人々なのです。
私はますます「教会」が答えだと確信しています。私たちがキリストの文化に生きることを通して、
どんな文化の中でも、どんな場所でも癒しと希望をもたらすことができるのです。これが私たちのやるべき任務です。
キリストの教会が、光と命と希望であるイエス・キリストによる癒しをもって地球上を覆うことです。
世界中が、貧困にあえぎ、罪にふけり、問題に引き込まれています。
家庭は破壊され、社会は混乱し、世界は急速に人間の手に負えない状況になっています。
汚職が横行し、政治家が人々を騙すのが今日ではあたりまえとなっています。戦争が地球上のあちこちで起っています。
国際関係は人々の生活様式をも脅かす宗教や民族主義によって崩壊しています。
何百万という人々が戦争難民となり、飢餓や災害が難民キャンプをおそっていることは、人々の人生に何か良いものをもたらすことができるのでしょうか。
エイズはまるで爆弾のように世界をおそい、無数の人々の人生を破壊しています。
エイズによって、多くの女性が未亡人となり、子供が孤児となり、希望も生きる意味もなく究極の貧困状態に置かれているのです。
イエス・キリストはマタイの福音書の中で「教会を建てる」ことについて話しています。
「わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、
それは天においても解かれています。」(マタイ16章18-19節 / 聖書)
この聖書の言葉の中心は、「わたしは、わたしの教会を建てる」という部分だと思います。
教会はただ人間の社会的組織として建てられたのではなく、キリスト自身が建てたのです。
教会はキリストが唯一、明らかに、きっぱりと「建てる」と言われた組織なのです。
教会は最も新しい方法で、力強く、人の人生を変えることのできる、神がこの世に生み出した組織なのです。
それがキリストの教会です。地獄のような世の中に対抗する神の国、それが解決方法なのです。
神はあなたの名前を知っており、働きを知っており、あなたを召しておられるのです。
彼はあなたが教会を建てるための鍵であることを知っています。
彼は人々の上に彼の教会を建てるのです。
私たちは建て上げられる共同体の石であり、柱であり、土台です。
地獄は神の教会が訪れるのを妨げることはできません。
教会は地獄の防御柵となり、聖霊や、神の教会の戦士を通して天で行われる霊的戦いの門をふさぐことができないようにしています。
私たちの霊的な武器は神の王国の鍵です。それはまたキリストの道であり、キリストの文化であり、その力と神の栄光をこの地球上に表わす、キリストの命であります。
私たちはこの世にインパクトを与えることができます。なぜなら天国と関係を持っているからです。
教会とは生き生きとした生命体です。
聖霊によって活力に満ち、成長し、増え広がり、それはイエス・キリストの愛によって動機づけられています。そしてそれは社会にいやしをもたらし、世界を 変えることができるのです。
全世界的に影響する事ができ、地域社会に根差したものでもあります。
イエス・キリストがかつて肉体をもって来られたこの世界において、教会はキリストの体なのです。
「キリストが答えである」と私は思います。しかしそれは私たちを通して表わされるものなのです。
教会とは、この暗闇の時代に神によって召され、イエスの福音によって変えられ、聖霊のバプテスマを受け、
キリストの体に加えられ、主と生きた関係を持ち、イエス・キリストを真剣に愛する人々の事なのです。
これが神が語りかけている人々です。神の召しに従い、喜んで先の見通しをつけ、どこにいても霊的な暗闇の力に対して戦う人々です。
C.T.ストッドというイギリスの有名なスポーツマンは、裕福な貴族の出身でしたが、
持っているすべての富と財産をなげだして、アフリカのコンゴに宣教に行きました。
彼は言っています。「ある人々は教会のきれいな鐘の音の中に留まって、生活したいと思っています。
でも私は地獄の中にある店を救うために出て行きたいのです。」
教会はただ単に人が集まってくる所ではなく、人がそこから出ていく所なのです。
人々は世界中に出てゆき、彼らが根付いている地域社会に入っていくのです。
教会はこの世界の中で生き生きとなるべきです。恐ろしいほどにモラルの崩壊した現代の中で、教会は社会的健康を守っています。
この暗闇の世のただ中にあって、真理の光を輝かす存在なのです。
これがクリスチャンの世界観であり、社会に健全な精神をもたらし、社会に影響を及ぼすことのできる、私達の「聖なる」知恵なのです。
社会における教会の役割
預言
私たち教会は預言的であるべきです。大胆に、情熱的に、時には優しく神の言葉と主の道を預言するべきです。聖職者
私たちはまた、聖職者であり、伝道者でなければなりません。主と世の中との間に立ってとりなし、天と地の間・神と人との間にあって祈らなければなりません。
牧会
私たちはまた牧会する心を持たなければなりません。
私たちの属する街やその隣人・家族・友達を愛し、豊かな牧場に導き、安全な主の囲いの中に招き入れなければなりません。
教会の状況は新約聖書の時代からは変わってきています。
私たちは今ある形式が必要かどうかを問いかけていく必要があります。
この危機的な世界にあって、私たちは斬新な切れを失って鈍くなり、無力なものとなっていませんか?
私たちは次々にあふれ出てくるクリスチャン音楽やテレビを追いかけるのに必死になって、影響力を失ってはいませんか?
この世を変えるのではなくて、この世が教会を変えてしまっているのです。
教会はますます世俗的になってきています。
世の中の格好のいい言葉や洋服や流行に飛びつき、イエス・キリストのようになることはどういうことなのかを忘れています。
私たちは信徒にとっての聖職者であると自分たちで思っていても、
いつのまにか自分の中に聖職者的な世俗的な考え方を構築してしまっています。
私たちは教会の建物を教会といい、そこにいる時には静かにしているべきだと思っています。
しかし、美しい建物を教会と考えるかわりに、本当の教会とはその生活態度によって毎日、どこにいても、
尊敬され聖められている人のことなのです。私たちのすることや話すことは特定の建物とは関係なく、その聖さとは私たちの礼拝の態度にあるのです。
この礼拝とは教会の集会のスタイルのことではありません。私たちがどのように生活するかということ、
神の召しを認識し、キリストの文化を示し、神の生き方を世に示し、すべての世の中の人に影響を与えることなのです。
教会は政治、経済、学問、医療、芸術、芸能など、あらゆる分野に影響を与えることができます。
また、家族を守ります。
なぜならこれらのすべては神のものだからです。
教会はすべてのものに影響することができます。私たちは世界中をこのような礼拝で満たさなければいけないのです。
私たちは私たちの信仰を日曜礼拝の中に押し込め、私たちがどのように生きるかより、礼拝を守ることを重要視しています。
私達は「完全な欠けたところがない者・霊・肉体」に達するという聖なる目標を失っています。
私達は正しい教理を弁護し、語ることに必死になり、貧しい人、公民権を与えられない人、難民や未亡人や孤児のことを忘れてしまっています。
社会的福音をどのように扱ったらよいかわからず、結局、何も社会的責任を負うことをしていません。
神は私達に新約聖書時代の教会社会に戻りなさいと言っておられます。
教会の出席日数や、教理を重要視するのではなく、信仰によって歩み、
どのような生き方をするかを重要視し、社会に仕える事を考え、どのような生き方をするべきかを考える教会に戻る必要があります。
イエス・キリストは私達を「教会に通う人々を作る」ために遣わしたのではなく、
主人であるイエスのライフスタイルに従う「弟子」を作るために遣わしたのです。
このことは私達自身の宣教にも確実に影響を与えています。私達はたしかに地域教会を建て上げ、
聖書学校においてリーダーを訓練することは継続しなければなりません。
しかしそれだけではいけません。私達はイエス・キリストが出て行ったように、私達が住んでいる社会に出て行かなければなりません。イエスは肉体をもって この世に来られた救い主でした。私達も肉体を持ってこの世を生きたイエスのようにこの世に生き、
教会の活動を行うのではなく、教会そのものとなり、キリストの体となり、
イエス・キリストの愛をもって、神の福音を社会にもたらさなければなりません。
イエスは罪人や姦淫の女、泥棒達とともに食事をすることで、当時の宗教的な規則を破りました。
しかし、そのことによって、このような人の人生を変え、彼らを「イエスに従うもの」としたのです。
私達はイエスが「教会」を愛していることを決して忘れてはいけません。
教会はイエス・キリストの血潮によって買い取られたのです。
イエスは彼の最初の弟子たちを訓練するのに多くの時間を使いました。
イエスはまた教会を力づけるために聖霊を送りました。
教会はこの世にあってキリストの体ですが、この世に属するものではないのです。
私達は教会がどんな大変なところを通っていようとも、それはキリストの花嫁であり、
イエスにとって非常に大切なものであり、再臨の時に訪れようと用意をしている場所であることを忘れてはいけません。
イエスは教会を信じているのです。
私達の敵は人々や政府や教育機関ではなく、サタンであることに気がついています。
私達は人々を攻撃しません。
悪霊の支配に対抗し、人々には仕えるのです。
このような愛と奉仕が、私達の今日の最大の武器です。
このことは私達が関わっている全ての人に感動を与えます。このような愛が「私達」と「彼ら」という意識を打ち砕きます。
私達を憎んでいる人達でさえも、私達が彼らを愛することを選ぶ時、そうなるのです。
私達は継続して、この傷つき、滅びていく世に対して親切な行いを続けていかなければなりません。
かつて私達がそうであったように、この世は惑わされているからです。
私達は、この世を捕えている暗闇に対して、霊の武器をもって戦わなければいけません。
私達の武器は愛と、祈りと、信仰と、聖さと、やさしさと、親切心、善良な行い、寛容などです。
世の中は深刻な問題に満ちています。その解決は、ただの建物ではなくキリストにあって生きている「教会」なのです。
これが今日、イエス・キリストが私達に語っていることなのです。
彼は私達を召し、教会がこの世に出て行き、イエス・キリストご自身がこの地球上を覆うように命令しているのです。
これが私達の唯一の希望なのです!




